Re:贈答文化

この記事は光 Advent Calendar 2014 10日目の記事であり、くれちょんくん贈答文化へのアンサー記事です。 光 Advent Calendar があと一枠で埋まるのでせっかくだから書いた。

贈答文化の要約

贈答文化をざっと要約すると、Amazon ウィッシュリストはメッセージ性の軽薄な新しい贈答文化で、この記事を書いたくれちょんくんは軽薄な互酬性についての批判を述べている。おおまかには同意するのだけど、ぼくは自分でウィッシュリストを公開したことがあるし、人に贈ったことも何度かあるので自分の意見を書いてみる。

Amazon ウィッシュリストにも光はある

まず前提として「芸能人的な人への贈答」はぼくの考えから省いていて、一般的な友好関係にある人間同士の贈答で考えてみる。くれちょんくんの記事でもそれを想定している。 その上でぼくが一番気になったのはこの箇所。

もし仮にウィッシュリストがなかったとしたら、こういう場合なにを贈ればいいのだろう。パッと思い浮かばないのは、これは贈る目的のない軽薄な互酬性が産んだ贈答機会だからだ。

これの根拠はなんなのだろうと考えた。ぼくは彼の主観が多分にあると思っている。
現在ぼくを取り巻く環境を考えると、ウィッシュリストを利用している層の多くが IT リテラシーの高い人間である。そういった人間の中で何度か会ったことはあるが住所や嗜好は特定できない、だけど SNS などのインターネットを媒介としてやり取りを深め一定の友好関係を築いている、という人は数多く存在しているのだ。
そして、そういった人に何か贈り物をしたいと思った時に住所や嗜好を尋ねるのは、あたかも「これから贈り物をしますよ」という前置きになってしまう。せっかくサプライズで贈りたいのに、それが台無しになってしまうわけだ。

ひと昔前であれば、住所も知らない嗜好もわからない人に対して贈り物をするなんて手段がなかったし、そういった対人関係は大変に築きにくかった。それがインターネットの発展と共に変わりつつあり、その文化の代表がウィッシュリストなんだろう。

上記を踏まえて彼の主張を見てみる。

本来起こるべきだったいろいろな感情が割愛されていることは文化として成り立つ上で非常に問題である

ここで無視されているのは「こっそり贈りたい、でも住所がわからない、彼のインターネットにおける人間的な部分が見えにくい」そういった人の感情だ。ひょっとすればあまり仲良くない人のお誕生日パーティーに呼ばれて人間関係の都合上仕方がなく参加し、仕方なく贈り物をしている人もいるのかもしれない。face to face や住所を聞き出して贈り物をしたところで、それが確実に豊かな贈答文化とは限らないのだ。

そういった場合と比較して、確かにインスタントな手法ではあるが、「まさか住所も知らない自分から贈られるとは思わないだろう」と想像を巡らし、ウィッシュリストという限られた選択肢の中から「なにが一番喜んでくれるかな」とプレゼントを選ぶ。ぼくはこれをとても奥ゆかしく、美しく感じる。

ちなみに彼は以下のように指摘している。

Amazonのウィッシュリストには贈った人の名前を伝える手段がない

昔はなかったのかな? 今はメッセージカード入れたり、もちろん名前も伝えることができるんやで。

※ 追記: くれちょんくんから以下のようなのご指摘いただきました!

ないほうがいいっていうニュアンス

ごめんなさい!!!!!!

まとめ

とはいえ、彼のいうことも最もな部分も多い。
彼の指摘するように、一部のユーザーにとっては単なる馴れ合いであり、安直で、とてもチープだ。彼と同じように感じている人も多くいるだろう。自分がいるコミュニティの人間であったりして、仕方なく贈っているであろう人も見受けられる。

だけど彼は結びとして以下のように述べている。

最低限メッセージ=意味は持っててほしいなと言いたい。

ユーザーによってはこの部分がおざなりになっている場合もあるが、Amazonウィッシュリストも、使うユーザー次第で光溢れるサービスなんだと思う。 サービスが悪いんじゃない。

使うユーザーによって、サービスの価値は変わっていく。